屋久島旅行記 3日目  前フリ編

雨の中、港に向かう。
空に晴れ間が見える。
雨は止みそうで止まない。
こんな土砂降りのなか傘をさして歩くって久しぶりだ。
近頃じゃ、雨が降ったら、また明日にしようって順延することばかりだったし。
ちょっと反省。
これからはやりたいことは多少の困難があってもやろう。
歩いている最中にもう1つの行きたかったお店『柳川氷室』発見。
ここは氷商が直営するかき氷屋さん。
雨にも関わらず、にぎわっている。
興味はあるけど、こちらは京都やら別でも食べられるのでパス。
カキ氷の食べすぎでお腹壊してもなんだし。
時間がけっこう厳しいことになっていたのだ。
次の目的地は少し遠い。


駐車場で車をひろう。
2泊3日で駐車料金は4000円ほど。
これはそれなりにリーズナブルで嬉しい。
許せる範囲だし、また屋久島に行こうって気持ちになれる。
次の目的地は知覧。
鹿児島市内から南へ30分ほどにある町。
興味がない人にとって
行くのに不便で、観光名所としては武家屋敷くらいしかない。
実際、数年前までぼくもこれまでそれといって興味もなければ、その存在も知らない町だった。


きっかけは2年前に行った生徒への平和学習。
約60年前、生徒たちに近い年齢の青年らが戦地へ行った。
片道だけの切符を手に戦場へ行った。
正確にいえば、当時の飛行機では満タンに燃料をつんでも、
鹿児島、沖縄間の片道しか飛行できなかったのだけれど、
沖縄がアメリカ軍の支配下にあったことを考えれば、
片道分の燃料のみで行ったとして表現しても差し支えないだろう。
もちろん彼らのほとんどは帰ってくることはない。
特別攻撃隊
すなわち特攻隊だ。
平和学習の一環として特攻隊について教える機会に恵まれた。
仕事が多岐にわたることもあり、授業準備はだいたい前日にしかできない。
そんななかで特攻隊に関する授業を行った。
もちろんそれなりの話術なり知識なり身につけてきていたので、1時間大きな問題もなく授業できた。
でも、そこで自分のなかで小さな違和感が残った。
この授業はこんな簡単にやっていいものだったのかな?
自分のなかに感じたもののない話が本当に生徒に伝わったのかな?


生徒はそれなりの感想を書いた。
能力の差があるとはいえ、30人が文章を書けば、数人、心で感じたものを言葉にしてくれる。
読んだ自分に伝わる文章を書いてくれる。
でも、彼らの心の動きを感じさせてくれる文章は一つもなかった。
小さな違和感は喉に引っ掛かった小骨のようにずっと残った。
次の年は沖縄について話をした。
沖縄には実際に行ったこともあり、
色々と自分なりに学んだ部分、感じた部分があった。
それを生徒にぶつけていった。
話を聞く目が違った。
こちらの話をぐぐっと受け取ってくれていた。
自分の感じたことの一部がきちんと伝わっているのが分かった。
生徒らが書いた感想からは、彼らが感じたものが書かれていた。
小さな違和感は間違いでなかったのだ。
沖縄の話が血の通った人間対人間の話だったとすれば、
知覧の話は決してそうではなかった。
ビデオ教材でも良かった。
むしろビデオ教材の方が良かったかもしれない。
人対人で話をする場合、自分の血肉となっていない言葉は伝わらない。
そんなことをここ数年思うようになった。
覚えただけの知識ではなく、知識を自分なりに咀嚼したもの。
それこそが人対人で教育する意味だと考えるようになった。