屋久島旅行記 3日目  教育?


途中で隣の席に着いたのは
若い父さん、母さん、5,6歳の幼い男の子の家族。
この家族、初めはまったく気にならなかったのだけれど、
途中から母さんのテンションがヒートアップして気になった。
気にならない方がおかしいくらい声が大きくなり、
「何がイヤだったの。言いなさい」と息子にキツイ口調で問い詰め始めたのだ。
どうやら母親が注文したとき、
息子が嫌な表情をしたらしい。
「あなたは何がイヤだったの?」
「別に何でもないです」
小さい子どもが母親に敬語を使っている時点で違和感があった。
「何でもないことないでしょう。あなたはイヤそうな顔をしたわ」
「気のせいです」
「気のせいじゃありません。あなたのその態度は空気を悪くすることよ
 お母さんそんなのが一番嫌いなの。何がイヤだったの」
子どもは両手で目を擦りながら、
「何でもないです。もう忘れてください」と言う。
「いいえ忘れません。お母さん今日一日ずっと問い詰めます」
お父さんもフォローを入れるように
「食べたいものが違ったのか?」やら言っているけど、
そのフォローも違うと思った。
「いけないことをしたと思うなら謝りなさい」
両手で目を擦り、涙をおさえる少年に言う母親。
「…ごめんなさい。だからもう忘れてください」
「で、何がイヤだったの?」
「もう。どうしたらいいの」

そのあたりで店を出たのだけど、これってどうなんだろう。
教育っていえるのかな。
確かにいけないことをいけないと教えるのは必要なことだ。
「あなたのさっきの表情は空気を悪くするのよ」
この言葉はとてもいい言葉だと思う。
でも母親は少年を叱っているわけではなかった。
怒っているようにしか見えなかった。
叱ると怒るってずいぶん違うんだな。
毎日、子どもと向き合っていたらついつい怒るに偏りがちだけど、
負の感情をぶつけられるのは大人でも辛い。
繊細な子どもだったら、
大好きなお母さんやお父さんから負の感情をぶつけられたら。
大人はそれをちょっと想像してみる必要があるかな。
もちろん人間なんだから感情が抑えきれず怒るになることもある。
場合によってはこの怒りがうまく伝わり成長につながることもある。
だから一概に怒るが駄目とは言わないけれど、
やっぱり子どもに対しては叱るの視線でいたい。
今回の少年はおそらくすごく賢い子なんだと思う。
自分がこの子だったらおそらく泣くしかできない子どもだったろう。
でも、彼はきちんと関係の修繕を図った。
うまくはいかなかったのは残念だったけど、
思わず「がんばれ少年!!」って応援していたし、
もうちょっとでお母さんに
「あなたの声や態度の方が周りの空気を悪くしていますよ」
って伝えたくなったくらいだ。
小さい子どもが親に対して敬語で話す。
これって普段の関係が見えるよね。
どこかでお母さんが気付く、お父さんがフォローしないと。
きっとこの少年は大丈夫。
間違いを犯したりはしない。
ただ、お母さんに心を閉ざすだろうな。
それはお母さんにとって不幸なのではなく、
少年にとって不幸だと思うから、
何もかもうまくいって欲しいなと祈る。
どこの誰かも知らないけれど、うまくいけばいいのに。