『キュア』田口ランディ


かって人間が持っていた不思議な力と現代科学は相容れない。
よく言われていることだ。
現代科学でもまだ征服できない、
それでいて現代人にとって大きな問題となっている『癌』を主題の1つとして、物語はすすむ。


システム化はあちこちの職場で進められていることだろう。
システム化することで仕事に余裕を生み出す。
大半はこのような文句で始まった。
そしてパソコンの普及によって加速的にシステム化は進んだ。
専門性はない素人でもできることが増えてきた。
では仕事が楽になったのだろうか。
余裕が生まれただろうか。
答えは『否』だとぼくは思う。
システム化は表面的な利便性と融通の利かなさ、そして歪みを生み出した。


融通の利かなさ。
すなわち効率を求めるあまり、
定型外の事例に対してシステムは脆弱になった。
効率を求めるあまり、
本来の目指すべきもの。やるべきことが見えにくくなった。
この物語でいうなら医者の本分とは一体何なのだろうか。
看護婦の本分とは一体何なのだろうか。
実生活において、自分自身も仕事の本分は一体何なのだろうかと感じることも多い。
かと言って、古き悪習がなくなったのかといえばそんなことはない。
医者の世話になった際、
「一切受け取らない」
そのように明記してあるにもかかわらず、お礼を求めるような行動をされた。
彼の本分は何なのだろうか。
医者であり、教授である彼の本分はどこへいってしまったのだろう。


歪み。
それらはたいてい弱者に向けられる。
この物語であれば研修医や看護婦、未熟児そして末期癌患者。
特に末期癌患者の歩む道は険しい。
あきらめる人もいる。
最後まで抗う人もいる。
抗う人のなかには、健常である現代人から見れば、狂ったのかと思える行動にでる人もいる。
宗教や民間療法などが最たるものだろう。
かって人間が持っていた不思議な力と現代科学は相容れない。
だからこそ狂ったように見える。
でも、生きたい気持ちが強ければ、周りからどう見られようと関係ない。
この国において、生まれてからこれまで、
現代科学の恩恵に預からなかった人はいないだろう。
その恩恵を否定するものに縋ってでも生きようとする。
愚かしくもあり、力強くもある
人間が、生物が本来持っていた逞しさをこの物語は綴っている。


   被爆のマリア
   富士山


キュア cure

キュア cure

田口さんらしい物語