110111のつぶやき

何か物事を起こすとき、話題になることで、
その影響を大きくする手段は昔から使われてきたこと。
タイガーマスクについていえば、
これまでも細々と行われてきていたことであって、
それをたまたまもしくは何かを隠すためにマスコミが取り上げた結果、
大きな話題、影響が起こったんですね。
踊る阿呆に見る阿呆。
同じ阿呆なら踊らにゃ損々。
日本人に限らないんだろうけれど、
マスコミが煽ればそれに乗るのが民衆。
ぼく自身祭りは嫌いでないし、
踊る阿呆タイプのはずなのに、
どうにも今回のタイガーマスク騒動はすっきりしない。
何か釈然としない。
そんなことを思っているうちに、
どんどん騒ぎは大きくなり、
全国の都道府県すべてに現れたというではないですか。
何件か続くとは思ったけれど、そこまでいくとは。
この動きが例年続いて良い伝統になればいいのにな。
そんな思いが頭をよぎって気がついた。
今回のこれはあくまでも一過性ものだと思ってしまっている自分がいるんだ。



次に繋がる雰囲気がなかったり、
行動自体は善行だけれど、不要なまでに匿名性を強調したり、
みんなが楽しめる祭りではなく、
ごく一部の人が企てた、愉快犯のにおいがしたんですね。
もちろん祭りにはそういった側面が常にあるものだけど、
善意でこれまで細々と行われていたことが、
妙な取り上げられ方をして、おかしな方向へ進んでいる。
根底にあるものは善意ではなく、
ヒーローになりたいといった歪みから起こっているように思えたんです。
本当に善意で行うのであれば、
マスコミへの連絡を控えてもらうはずでしょう。
ところが、連日、ヒーローの話題がマスコミで取り上げられる。
表面的に善行だから褒められるけれど、
表面的に犯罪だったらどうなんだろう。
そんなことを考えるぼくはさらに歪んでいるのかなぁ。



これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

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この本が読みたいんだよな。