『被爆のマリア』 田口ランディ

作家の田口ランディさんが何度か広島へ行かれていたことは知っていた。
そのうえで、この本を書いたのだろう。
漠然とそんなことを思いながら読まずにいた。
今回、これを手にしたのもたまたま目につく場所におかれていたからで、
「さぁ読もう」といったものではない。
ただ、昨年そして一昨年と広島で語り部さんの話を聞く機会に恵まれ、
語り部さんによってこんなに伝わってくるものが違うのか!!」
と知り、どうすれば伝えていけるのかを考えていたので、
読む準備はできていたのかもしれない。


自分もそうだが、田口さんも戦争を知らない世代の方だ。
だからこそ、想像するしかない。共感するしかない。
戦争や原爆は伝えていかなければならないことだろう。
特に原爆の恐ろしさを伝えていくのは日本の大事な役割だと思う。
ただ伝えていくうえで、あくまでも想像と共感が原点となってしまう。
当事者である人々、戦争を知る人々からすれば、
ぼくらの世代の反応を冷たい。分かっていない。
そう感じられるかもしれない。
語り部さんは「聞いてくれるだけでいい」と言われていた。
あの方々の生の声は子どもに届く。
全員とは言わないけれど、きちんと聞いている子らに確実に届いている。


では、これから先、語り部さんがいなくなった後、どうするのだろう。
子どもらは資料館を見て、文章を読んで、映像を見て、
「怖かった」「もうくり返してはいけない」
など書くだろう。
それを見て分かってくれていると安心するのは違う。
だって、それくらいの文章は簡単に書けるのだもの。
書くことが宿題になるので、書いてしまうのだもの。
でも、限界があるのだ。想像にも共感にも。
そのうえで伝えていこうとするならば、どうすればいいのか。
この本にあるのは一つの答えだと感じた。
ただ百点満点の何点であるかは分からない。
気に入らないという人も少なくないと思う。
それでも次の答えを出さないといけない時期にきている。
だから、否定されることを恐れずに、
こうやって一つの答えを出した田口さんは素晴らしいなと思えた。
すべてに同意するわけではないけれど、
「ああ、確かにそうだ」と共感できるところも多かった。


被爆のマリア

被爆のマリア