田口ランディ『富士山』

四本の短編からなる一冊。
コミュニケーション不全症候群、アダルトチルドレン、ゴミ問題、そして中絶。
救いもしくは変化せずそこにあるものとして富士山が登場する。

ここしばらく、精神的に摩耗しきっている自分を感じ、
大山、屋久島、熊野三山など
あちこちへ足をのばしている。
不思議なことに、深く考えずに決めた行き先には必ず自然があった。
なぜ、そこを目的地にしたのだろう。
行きたい場所はたくさんあった。
そのなかからどうしてそこを選んだのか。
意識せずに選んだ目的地を選んだ理由。
それを意識しようとして、正解が出てくるのかどうか。
けれど、
自分の小ささを再確認し、
変わらずそこにあるものを再確認することで安心したかったのではないか。
そのように分析している。


確認するまでもなく、自分が小さな人間であることは分かっている。
分かっているはずなのに、
日々の仕事に追われた生活を送ることで分かっていることさえ分からなくなる。
不要なインプットが多すぎ、
せねばならないという強迫観念に似たアウトプットが多すぎ、
本当に必要なインプットが少なく、
毒々しいものをアウトプットできない状態では、
何をしているのかさえ分からなくなる。
これでいいのか、迷いが生まれ、それは負のスパイラルに発展していく。
「いいのだ」
そう言い切れる、世間一般ではできると思われる人はそれでいいのだろう。
しかし自分はそう言い切れるタイプでない。
その時々に自分自身で感じたことを大切に生きてきた。
言い切れる人間になりたいとも思わないので、これからもそう生きていくのだろう。
だからこそ、自分の感覚が消耗した状態では、正直しんどい。
言い切れるタイプの人と接することが負担になる。
精神状況は身体にも影響を及ぼす。
実に分かりやすい日々だった。


人間の存在の小ささを知らしめてくれる自然。
それを前にした時、人は何を感じるのだろう。
この数ヶ月、自分が感じ、求めていたことを
富士山という日本で最も大きな自然を、
象徴とさえいえる自然を通して物語の人物達が体験している。
そう思える物語だった。

富士山

富士山