100906

満たされるってのはどういうことなんだろう?
昨日、夜、寝る前、
ふっと「幸せなんかなぁ?」と考えた。

今、日本では仕事をしていたら、それなりの収入は入ってくる。
たとえば自分の仕事でも、生きるに困らない、
週に何回かは外食したり遊んだりするくらいのお金はもらえる。
学生ん時と比べたら、手にしているお金はすごい違う。
ではそのお金を思いっきり使えているか?
自分の時間を大事にできているか?
となるとそこで疑問が発生する。
何のために仕事をしているのかと問われると、
生活のため、仕事を通して成長するためなどなど
多用な答えを用意する自信はあるんだけれど、
自分自身を納得させる自信はないなぁ。
これってすごく駄目なんじゃないかな。


では、仕事をしなければどうなのか。
もちろん慣れるまでそれなりに大変だと思う。
でも、それなりに生きていけるんだよな、この国だったら。
少なくとも飢え死にする可能性は限りなくゼロだ。
そういう生活は自分には向いていない。
とは思うけれど、知識としてはある。
きっと自由な時間はかなりあるだろう。


「時間」と「お金」そのバランス。
ん〜「ゆたかさ」って表現すればいいのかな。
「ゆたかさ」が自分にあるかどうか。
この仕事をはじめて四捨五入すると10年になる今日この頃、
ようやくそんな疑問にぶち当たった。
始めた当初はガムシャラに仕事できた。
ひたすら自分の足りない部分を学び埋めようと、
正しいと思うことを全力でやっていこうと思い仕事した。
それなりの結果も出してきたと思う。
それなりに若人に影響を与えたという自負もある。
ただそういう若いからこそできることをやっていく時期に
少しずつ別れを告げないといけないかなと思うわけで。
このままその姿勢でいくってことは
「オレが若い頃はよ〜」ってな昔に生きた人になるってことなんよな。
もしくは「近頃の若いもんは〜」ってな口癖の人に。
全面否定はしないけど、なんか違うんよな。
もちろん、そのままの惰性でできる仕事ではある。
悲しいかなそんな人も多い職種なんよな。
そういう人に対してどんな感情を持っているのか。
はっきり言ってしまえば「惰性でやるくらいなら辞めればいいのに」だ。
いかん散文的に書きすぎだ。
時間がない。
「ゆたかさ」がない人間が、「どう生きるか」や
「ゆたかに生きる」って叫ぶほど滑稽な姿はない。
道化以外のなんでもない。
まずは自分が「ゆたかさ」を持たないと。
きっと「ゆたかさ」は人によって違う。
とりあえず自分にとっての「ゆたかさ」を探そうかな。