110310のつぶやき

前編
中篇

今回の件で考えないといけないこと、
これを機会に少しでも変わっていけばいいな。
そう思えたのが入学試験で問う内容です。
昔から日本の大学は入るのは難しいが出るのは簡単といわれてきました。
もちろんすべてがではありません。
実際、自分のいた大学は入ってからの方が大変でした。
ただ他大学にいった知り合いなどから、
卒業論文がないやら、事前にテスト問題が教えられるやら、
大学って遊ぶ場所なのかなと考えざるを得ない話が多く聞けました。


広げることのできる話題に話が大きくズレてしまうので、
本筋に戻ると、
大学入試で問われる内容はある非常に難解です。
ある意味と書く理由は、あらゆる意味で難解とは思えないから。
そこで問われるのは、
『如何にパターンを覚えているか』に傾斜し過ぎているよう思えます。
変な話、記憶力がいい人間が勝ちやすい問題なのです。


より偏差値の高い大学の合格を求められる高等学校で教える内容は、
当然、パターンを覚えるものに傾向していきます。
入学試験の結果、それなりに学力レベルが均一であることが一つの救いでしょう。
より偏差値の高い高等学校の合格を求められ、
義務教育の縛りがある公立中学校で教える内容は、
パターンを覚える内容と落ちこぼれを作らない。非常に内容にバラけてしまいます。
学力がある生徒は私立に抜けてしまうことも特徴の一つです。
特に求められることのない小学校で教える内容は
コロコロ変わる文部科学省の指示に必死につき従った内容です。
一人の担任が1年間、ほぼすべての授業を担当する。
先生も人間。ピンからキリまで、当たるも八卦。当たらぬも八卦


それでいて、その力が社会で通用するかといえば、
ほとんどそんなことはありません。
本当に必要な、生きる学力。
それを問い育てるために、
大学を始め教育に携わる人間は軽くない負担を負うことになるでしょう。
彼らにのみ責務を負わせるのでなく、
国として教育の進展を試みる。
そんな時代の分岐に立っている。
どちらへ進むかを考えていきましょう。