110309のつぶやき

前編


誤解を恐れずに言うと、
大学にはある種の自由が必要だと考えています。
好き勝手自由にやらせろというのではありません。
現在のルールや概念が本当に正しいのか?
それらを追求する場である必要があると思うのです。
大学に探求する自由を与えるべきだと思うわけです。

今現在、常識とされている事柄。
たくさんあります。
地球は丸い。
自転しながら、太陽の周りを回って(公転して)いる。
中学3年生までに学ぶ内容です。
でも、それが絶対に正しいと言える人はどれくらいいるでしょう。
正しい理由を説明できる人はどれくらいいるでしょう。
一昔前は、世界最高の学者さんでさえ、
地球はお盆のようなもので、その周りを天体が移動している。
天動説が信じられていました。
地動説を提唱したガリレオ・ガリレイなどは
裁判にかけられ、危うく処刑されるところでした。
ついでに言えば、
この後、1633年から裁判の判決により軟禁(監視付、散歩以外の外出禁止)。
そのまま1642年に死去。
葬儀の許可が下りたのは1737年(死後95年)。
役職回復は1822年(死後180年)。
裁判の誤りを認められ名誉回復は1992年(死後280年)。


ちょっと脱線しました。
兎にも角にも、科学の歴史は発見と訂正の連続です。
であればこそ、常識に囚われるべきでなく、
ある種の自由が必要だといいたいのです。
生まれてなかったので、詳しくは知らないのでなんですけど、
学生運動なんてその最たるもんでしょ?
あんなことをしても許される雰囲気が大学にはあったのです。


もちろん不正行為を許せといっているのではありません。
ただ、その行為に至ってしまった彼を見て、学び、
そんな行為を行わせてしまった自身を戒める対応。
まだ内部の学生でないとはいえ、
外部機関に完全に渡してしまうのではなく、
教育機関であり研究機関である大学として相応しい行動があるのではないかと
思わずにいられないのです。
その点、4校のうち1校はキリスト教系統の学び舎に相応しい寛容を示しました。
外部機関に頼ったのは人物の特定と事情聴取までです。
少なくとも、学生に
「ああ、あの大学はいいな」と印象づけたはずです。
もちろんカンニングを許す学校というマイナスではなく、
懐の深い学校というプラスの印象で。
株を上げたのではないでしょうか。


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ガリレオの時代の研究道具はいいインテリアなんよなぁ。

   つ、続くのか!?