110303のつぶやき

子どもの頃、何かのドラマで見た記憶もあるし、
映画なんかの題材にもなったりしているくらいだから
昔からカンニングはあったんだろうな。
小さい頃、憧れたルパンⅢ世は泥棒です。
好きな映画に『大誘拐』ってなものもあります。
人はどこかしら自由を求めるものだし、
権威や権力に抗いたい気持ちがあるのも事実。
だから、それらの題材にどこか愉快さを感じる。
やってはいけないって言われていることだからこそ、
やりたくなることってあるしね。


とはいえ、現実問題としてそれは許されることではありません。
きっと当事者になった日には、心の底から腹を立てるだろうし、
事と次第によっては、自分自身が許されないことをしてしまうかもしれない。
だからこそ、ルールは守られなければならない。
許してしまえば、秩序が壊れてしまうのだから。
痛快さを味わうのはドラマや小説だけの話にしておかないといけない。
罪には罰を。
いいことか悪いことかは別にして、
そうやって今の社会は形成されてきた。


ただね。
今回、マスコミが大喜びで飛びついている問題。
教育機関であるはずの大学の対応。
何というか不思議な目で見ている自分がいます。
この問題を刑事事件に結びつけるのは正しいのかどうか。
正しいと感じる自分とおかしいと感じる自分がいるわけです。
各人の努力の結果を試す場である試験において不正行為を行う。
これは何かしらの形で罰せられるべきことでしょう。
その罰が刑事責任になっていいのだろうか。
仮に小学校や中学校、高等学校の試験でカンニングしたとき、
それを刑事事件に結び付ける学校や教育者があったなら、
間違いなく教育者の傲慢だと叩かれるのでしょうね。
おそらくそれらに所属する教員がそうすることはないと思われます。
しかし、大学はそれを行った。
高等学校と大学の間に何か区切りがあるんだろうか。


発育段階にあわせてという考え方もあるのだろうけれど、
それらに対する一つの基準がないのが現状です。
難しい問題だなぁ。
慌てず、しっかりみんなで考えていかないといけない問題だと思うわけです。


ひさしぶりに見たくなってきた